
8/28のgoogleロゴがアレクサンドル・デュマ・ペールに変更されました。
なんだか航海士のような風貌に見えるのは私だけでしょうか。
一方で優しいお父さんのような親しみやすさも感じ取れます。
一体どんな人物なのか少し調べてみました。
アレクサンドル・デュマ・ペールはフランス出身の小説家
アレクサンドル・デュマ・ペールは1802年7月24日にフランスで生まれました。
今から200年以上も前の偉人です。
ちなみにデュマの父親はデュマ将軍と言われており、あの有名なナポレオンと行動を共にしていた記録も残されています。
もともと奴隷として売り飛ばされ、陸軍に入った後にナポレオンやルイ16世に仕えたのです。
デュマの父親はナポレオンから嫌われていたこともあり、大黒柱を失った母子は年金の受給をナポレオンからストップさせられてしまいます。
お金に困り、まともな教育すら受けられなかったデュマは、15歳の若さで公証人役場で働くこととなります。
そんなある日、シェイクスピアのハムレットを鑑賞したアレクサンドル・デュマは感動を覚えます。
自分もこんな演劇を書きたい!!と影響されたことから劇作家への道に進むのです。
劇作家や小説家への憧れがありながら22歳で子宝に恵まれ、働かなくてはいけない環境になりながらも夢を諦めず演劇の道を目指し続けた努力人です。
アレクサンドル・デュマ・ペールの作品はどんなものがあるのか?
ゼロからの出発のデュマの作品がすぐ売れるほど甘いものではありません。
デュマの初となるヒット作はは1829年に上演された散文劇「アンリ三世とその宮廷」というものです。
その後も「三銃士」「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」「王妃マルゴ」といった小説を書いて大成功を収めることとなります。
「三銃士」「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」は日本でも有名な作品で知ってる方は多いようです。
生涯で500を超える作品を世に送り出したのです。
一発当たって勢いそのままに人生勝ち切ったという感じでしょうか。
印税によって大金を手にしたデュマは使い方も豪快!!
豪邸を建て、毎日パーティ、女優たちと楽しい毎日を過ごしていたそうです。
羨ましい!!
豪快なまでの浪費と食へのこだわりから美食家としても知られ、「料理大辞典」という著書まで出版しています。
ちなみにデュマの息子も小説家として活躍。
代表作品は「椿姫」。
デュマと息子を区別するために
大デュマ(デュマ・ペール)
息子は小デュマ(デュマ・フィス)
というふうに呼ばれていました。
アレクサンドル・デュマ・ペールの最期
デュマは1870年9月に脳卒中になり半麻痺状態になってしまいます。
その同年、12月5日にこの世を去りました。
200年経った今も、デュマの作品をモチーフにした音楽劇が日本で行われています。
ちょうど今年、東京の日本橋で2020年8月16日〜8月23日まで行われていたそうです。
こうやって昔の偉人の作品が現代で蘇っていることが素晴らしいと思います。
世界をまたにかける偉人をまた一人知ることができました。
しかしぜ8月28日にgoogleが変更されたのか・・
これはわからないままでした・・すいません。