11/10のgoogleロゴが津田梅子に変更されました。
1度は耳にしたことのある有名人でしょう。
実際どんなことをした偉人なのか、あまり知らない方が多いんじゃないでしょうか?
簡単にまとめてみました。
津田梅子さんは日本の女子教育の先駆者
津田梅子さんは1864年12月31日に現在の東京都新宿区に生まれました。
7歳という若い年齢で他の4人の女の子と共にアメリカに派遣されアメリカ文化を学びました。
10年以上アメリカに滞在し、その後日本に帰国した後に英語教師として仕事をします。
しかし、男女に平等に仕事の機会が与えられず差別のある時代です。
女性に与えられた教育の機会は少なく津田梅子さんは日本の現状に幻滅したと言います。
津田梅子さんはその後アメリカに渡米し、母国日本での高等教育に人生を捧げるための勉強を始めます。
アメリカで語学の勉強に専念したのち、次世代の女性教育リーダー排出のために、日本人女性がアメリカに渡米するための奨学金制度を創設します。
その後新たなビジョンを持った津田梅子さんは、日本に帰国し1900年に婦人会英語学校を開校します。
生涯のほとんどを教育の場に捧げ、女性が社会進出するきっかけを作ったのが津田梅子さんなのです。
1929年8月16日、津田梅子さんは鎌倉の別荘にて病没したそうです。
津田梅子さんは女子英学塾(後の津田塾大学)の創設者
今では誰もが聞いたことのある津田塾大学ですが、この学校の創設者が津田梅子さんなのです。
女子英学塾という女性のための塾を開校し、当時10名の生徒が関東近県から入校したと言われています。
華族平民の別のない女子教育を志向して、一般女子の教育を始め女性が社会で活躍するための基盤を作ったのです。
塾長として教育に徹していたが、創業当時の1900頃に健康を損ない、1919年に塾長を辞任します。
脳出血で死去した後は、東京都小平市にある津田塾大学の敷地内に墓所が設置されたそうです。
11月10日は津田梅子さんが宝冠章を受賞した日
1915年11月10日に津田梅子さんは宝冠章という勲章を得ています。
なので今日が津田梅子さんのロゴに変更されたんですね。
宝冠章とは日本の勲章の1つで「授与対象を女性に限定した唯一の勲章」なのです。
当時、男性に限定された勲章は数多く存在したが、女性に限定された勲章はまだなかったのです。
今もなお有名大学として存在する津田塾大学の創設者であり、宝冠章という歴史的偉人に与えられる勲章を得た女性。
その津田梅子さんが栄誉を受け取ったのが105年前の今日だったのです。
Amazonでも津田梅子さんの著書が売られているなど、100年以上経っても今の人たちが知っている偉人はそうそういません。
女性の社会進出の第一人者なのかもしれませんね。