マーシャ・P・ジョンソンに6月30日のgoogleロゴが変更!!「LGBTの人々に権利を」と訴え続けた偉大なアメリカ人!!

6/30のgoogleロゴがマーシャ・P・ジョンソンに変更されました。

 

 

女性と男性の名前が混在したような感じの名前ですね。

日本人ではないのは確かですが、一体どんな功績を残した人なのでしょうか?

 

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マーシャ・P・ジョンソンはゲイ解放運動の活動家

本名は「マルコム・マイケルJr.」であり、1945年8月24日にアメリカのニュージャージー州で男の子として生まれました。

5歳の頃には女性用ドレスを着たり、男性から性的暴行を受ける経験などを経て自分がゲイであることに徐々に気づいていきます。

ニューヨークに訪れた際に多くのゲイと出会うことで、自身がゲイであると確信に変わりカミングアウトをするのです。

マーシャが生きた時代は今より同性愛者に対する視線は厳しく、同性愛を法律で禁じていたこともある時代でした。

今でこそ抵抗なく見られる時代になってきましたが、半世紀前は警察の取り締まりや暴行を受けるような酷い仕打ちを受けていたのがマーシャなのです。

どんなに警察との抗争があっても自分の信念のもとにトレンスジェンダークイーンとして生涯を過ごしました。

 

マーシャ・P・ジョンソンはLGBT権利獲得に人生を費やした

L レズビアン 女性同性愛者
G ゲイ 男性同性愛者
B バイセクシュアル 両性愛者
T トランスジェンダー 性同一性障害

性同一性障害を持っているだけで家が借りれなかったり、仕事に就けなかったり、生活に制限がかかる時代にマーシャは生きていました。

1960年代頃、ケネディ大統領の当選により女性の社会進出が進み、不当な取り締まりに苦しんでいたLCBTの人たちに希望の光が差し込みました。

そんな時1969年に起きた事件が「ストーンウォールの反乱」という事件です。

ストーンウォールとは、当時男性以外の入店を禁じていたバー、いわゆるゲイバーです。

そこに警察が立ち入ったことからとLGBTの人々による争いが起きます。

今までなら警察の不当な取り締まりに言葉も出ず言いなりだった彼らですが、性癖が異なるだけで差別されることに納得できない人々がついに反抗。

今となっては誰かわからないのですが、ショットグラスを警察に投げつけた人間がいました。

これが争いの合図となり激しい抗争に変わったのです。

マーシャはその渦中で警察と戦い、LGBTの人々にも人権があることを強く訴えました。

ストーンウォールの反乱に止まらずその後も人権活動は続きます。

マーシャはゲイ解放戦線の創設し、先頭に立って性的マイノリティの権利獲得活動を行いました。

LGBTに悩む身寄りのない子供たちのためにシェルターを設立したり、自身がホームレスになるような苦しい状況でも世界中に訴え続けました。

 

マーシャ・P・ジョンソンの突然の死

マーシャは路上で生活しながらサバイバル・セックスで生計を立てていました。

警察に何百回と逮捕されながらも、明るい性格と強靭なメンタルで戦っていたそうです。

そんな中、1992年7月2日、マーシャ46歳の時に突然ハドソン川にてマーシャの水死体が発見されました。

当時HIVを発症していたマーシャ。

警察はろくに捜査もせず「自殺」と死因を説明しましたが、後頭部に大きな傷があったことや青あざが身体中にあったこともあり、暴行による「他殺」を信じている人もいるそうです。

警察にしてみればマーシャは敵ですから、真っ当な扱いはされなかったのでしょう。

世界の功績者は死因すらわからずこの世を去ったのです。

 

マーシャ・P・ジョンソンの死後のアメリカ

現在ブルックリン美術館では、ストーンウォールの反乱が起きた1969年以降に生まれたLGBTのアーティストたちによる作品展が行われているそうです。

彼らにとっては英雄であるマーシャを題材にした「Happy Birthday Masha!!」というフィルムも公開されているようです。

事件と発端となったストーンウォールというバーは今も継続して営業しています。

昔のような差別もなく、今はどんな人でも入ることができるようです。

そしてマーシャを題材にしたマーシャ・P・ジョンソンの生と死』という映画が公開されています。

Netflixで絶賛公開中です。

 

マーシャの活動や戦いがあったからこそ、性的差別というものに世界が目を向け、LGBTに悩む人が住みやすい世界に変わっていったのかもしれません。

マーシャ・P・ジョンソンがアメリカを変えた1人の偉人ということがわかりましたね!!

マーシャ・P・ジョンソンさん、ありがとうございます!!

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