
2/4のGoogleロゴがンコシ・ジョンソンに変更されましたね。
なにやら小さな少年が演説をしているように見えます。
「ン」から始まる名前は珍しいですね。
一体どんな少年で、2/4とどんな関係があるのでしょうか?
ンコシ・ジョンソンはアフリカのヒーロー
ンコシ・ジョンソンはアフリカで生まれ、1989年に生まれた時からエイズを患っていた難病の患者です。
彼は母子感染でしたので、生まれた時から母の影響もありエイズだったのです。
1989年、ちょうど私と同世代の男の子です。
ンコシ・ジョンソンがアフリカのヒーローと呼ばれるようになったのは、幼い頃からエイズの偏見や誤解を持つ人に呼びかける活動を行なっていたからなのです。
小学生にもならないような年齢の男の子が、エイズというものがどれだけ苦しい難病なのかを必死に呼びかけ続けた。
これだけで心動かされることでしょう。
自分自身がエイズで苦しんでいるのに人のために動ける素敵なヒーローとしてアフリカで活躍しました。
様々なイベントや公演でスピーチを行い、世界最年少のエイズ活動家として有名になりました。
ンコシ・ジョンソンが生きた当時のアフリカは、人口4900万人に対してエイズ陽性者が570万人。
国民の9人に1人はエイズ感染者という深刻な時代でした。
毎日30人以上が亡くなっていたその時代にンコシ・ジョンソンは、エイズ患者が少しでも生活をよくするための演説を国際会議で行なっていたのです。
日本人にはあまりゆかりのない話かもしれませんが、わずか10歳前後の男の子が国際会議でスピーチをするほどの病気。
考えただけで心苦しいです。
ンコシ・ジョンソン「僕の希望」
2000年、ンコシ・ジョンソンが11歳になった年に南アフリカのターバンで行われた国際エイズ会議の開会セレモニーでスピーチを披露しました。
自身もエイズの末期で余命わずかの中、ンコシ・ジョンソンのスピーチは聞く人全ての心を掴みました。
そのスピーチの1部を紹介します。
「僕の希望」
こんにちは。僕の名前はンコシ・ジョンソンです。僕は11歳で、末期のエイズ患者です。2歳の頃、HIVに観戦した人々やエイズ患者のためのケア・センターで暮らし始めました。お母さんは、僕らがHIVに観戦していることが知られて、住んでいる地域から追い出される事を、とても恐れていました。お母さんは僕が小学校に入学する前に死んでしまいました。お母さんのことがとても恋しいです。
僕はとっても体調の悪い時や、エイズの赤ちゃんや子供達の事を考える時、自分がエイズ患者であることがとても嫌になることがあります。政府は妊娠しているHIV感染者のお母さんたちが赤ちゃんにエイズウイルスを感染しないようにするための薬をお母さんたちにあげれば良いのにと思います。赤ちゃんはあっという間に死んでしまします。お母さんに見捨てられて僕たちと一緒に暮らしていたミッキーという赤ちゃんがいました。彼はある日、息ができなくなり食べることもできなくなってしまい、病院に行く前に死んでしまいました。ミッキーはとっても小さく可愛い赤ちゃんでした。もう赤ちゃんたちに死んでほしくない。だから政府は薬をあげるべきだと思います。
お母さんと赤ちゃんが愛情に包まれて、一緒に暮らすことができたら、お母さん達ももっと長生きできると僕は思っています。
僕が大人になったら、世界中のもっともっとたくさんの人達にエイズの真実について伝えたいと思っています。世界中の人たちがエイズを予防できるようになり、HIVと共に生きる人々やエイズ患者に対しても敬意を持って接して欲しいと思っています。HIVに感染している人に触れても、抱きしめても、キスしても、手を握っても観戦しないのですから。
僕たちの事をもっと愛して、そして受け入れてください。
僕たちも普通の人間で、手もあり、足もあり、歩く事だって、話す事だってできるし、みなさんと同じように欲しいものだってあるんです。僕たちの事を怖がらないで欲しい。
僕たちもみんな同じ人間だから。
ンコシ・ジョンソン
ンコシ・ジョンソンは当時の世界最高齢
ンコシ・ジョンソンは体調が優れない中、アメリカに遠征したり数々のスピーチを成功させてきました。
エイズの末期を迎えながら、多くのエイズ患者のために立ち上がったのです。
しかし、アフリカのヒーローはこのスピーチを行なった数ヶ月後。
12歳で亡くなりました。
生まれながらにエイズを患って12歳まで生きた少年は当時世界最高齢を記録したのです。
日本にいると便利でなんでもあって病気とも縁がない人が多くいますが、こういう若い命が世界のどこかで失われているのを知るといろいろ考えさせられますね。
親・家族・友人に感謝し、自分が好きな事を好き勝手できる今に感謝しながら生きようって思う、そんなスピーチの内容でした。
今日、2/4はンコシ・ジョンソンの誕生日。
1989/2/4に生まれたアフリカのヒーローの思いがこれからも世界に届く事を祈っています。