10/18にGoogleのロゴに現れた楠瀬喜多さん。
彼女は一体どんな人なのか。
経歴を少しまとめてみました。
楠瀬喜多さんは女性に初めて選挙権を与えた日本の偉人
楠瀬喜多(くすのせきた)
1836年10月18日に土佐藩で生まれた女性。
今でいう高知県ですね。
米穀商の娘として生まれ1920年までの84年間を生きた日本の偉人です。
楠瀬さんが何をしたかというと
高知県にて、日本で初めて女性の選挙権・被選挙権が認められる活動を行った人物なんです。
1878年、かつて男女の格差があり、女性が社会的に認められていない時代に楠瀬さんは区会議員の選挙でこう発言しました。
「女性だって納税をしている。なのに女性にだけ選挙権がないというのはおかしい。
本来義務と権利は両立するのが道理。選挙権がないなら納税はしない。」
かっこよすぎますね。日本に立ち向かった女性ということです。
当時の高知県の上町町会では要求を受け入れず、ついに楠瀬さんは内務省に訴え出ることになったのです。
1880年、楠瀬さんの猛抗議は3ヶ月に及ぶものとなり、ついに楠瀬さんの想いが届くこととなります。
日本で初めての女性参政権を認める法令が成立しました。
世界でも女性の参政権が認められていたのはアメリカのワイオミング州議会だけだったので、高知県上町・小高坂の動きは世界で2番目に女性参政権を実現することとなりました。
楠瀬さんはその後、自由民権運動の演説会などで弁士として自分の意見を述べる女性民権家として活躍しました。
そして1920年10月18日、ちょうど84歳の誕生日を迎えた日に、多くの人に見守られながら楠瀬さんはこの世を去りました。
楠瀬さんが必死に女性の選挙権を訴え続け、高知県上町・小高坂村で可決されてから60年後。
ようやく日本で女性参政権が女性の選挙権・被選挙権を認める形となりました。
日本の女性参政権の草分け的存在となった楠瀬さんは、多くの人から
「民権おばさん」と呼ばれるようになりました。
まとめ
今では国民みんなに平等に与えられている選挙権ですが、女性格差を無くし国民が平等に選挙に参加できる権利を日本に浸透させたのが楠瀬喜多さんでした。
歴史を変えた大いなる偉人ということです。
楠瀬さんに感謝してこれからはみなさん選挙に行きましょう!!