アンナ・メイ・ウォンに1/22のgoogleロゴが変更!!人種差別と戦った偉大な女優の生涯とは?

1/22のgoogleロゴがアンナ・メイ・ウォンに変更されました。

アンナ・メイ・ウォンとは一体どんな人なのでしょうか?

生涯どんな風に過ごしたのか調べてみました!!

 

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アンナ・メイ・ウォンは中国系アメリカ人女優

アンナ・メイ・ウォンは1905年1月3日にロサンゼルスのチャイナタウンで生まれました。
中国系アメリカ人としてアメリカに在住していたのです。

中国人の血が入っている人間がアメリカで女優として活躍するのは当時では考えられなかったことでしょう。

1919年、14歳の時に初めて映画デビュー。
「紅燈祭」という作品にエキストラとして出演しました。

1922年には「恋の睡蓮」という作品で初主演を務めるなど、若くして人気を集めた女優でした。

役柄としてはエキゾチックな悪女。
妊婦・売春婦・奴隷・メイドなどの役柄が多く、本人は同じような役柄に苛立ちもあったそうです。

 

アンナ・メイ・ウォンは人種差別に苦しんでいた

アンナ・メイ・ウォンがアメリカで活躍していた時代は、東洋人に対する見方が非常に厳しいこともあり、法の存在も邪魔をしていました。

カリフォルニアに在住していても、「外国人」として見なされていたのです。
なぜなら、1948年まで続いた法律で「異種族との結婚や関係を禁止する」という法律があったそうです。

この法律により、アンナ・メイ・ウォンが出演する映画でも役柄が限られたものしか与えられず苦しんでいたのです。

昔は人種差別がはっきりしていましたからね、ある意味ものすごいチャレンジをした偉大な方です。

同人種の中国系アメリカ人からは、女優という職業と演じる役柄に非難の目が殺到。
ハリウッドでは外国人扱い。

アンナ・メイ・ウォンは日に日に苦しめられていきました。

 

アンナ・メイ・ウォンはヨーロッパで大成功を収める

1928年にアンナ・メイ・ウォンはヨーロッパに進出。
ドイツ語もフランス語もマスターし、映画や舞台で活躍します。

1929年には、イギリス映画「ピカデリー」で大成功を収めました。

大成功を収めた後にハリウッドに凱旋。
しかし待っていたのは辛い現実でした。

以前と変わらない人種差別を受け、アンナ・メイ・ウォンはヨーロッパに帰還して活動を続けました。

 

アンナ・メイ・ウォンは37歳の若さで引退

ヨーロッパで戦争の色が濃くなってきた頃、戦争から逃れるようにハリウッドに帰国。
しかしハリウッドにはアンナ・メイ・ウォンの活躍できる場は用意されておらず、1942年に37歳の若さで映画界から引退しました。

その後は容姿や血統が関係しないラジオ番組に出演。
人目につかない場所での仕事に移ったのです。

 

アンナ・メイ・ウォン、突然の死

1949年、映画「インパクト」に出演のきっかけを得て映画界に復帰。
それでもまだ引退前と同じく役柄を演じていました。

いくつかの作品を経て、ついにアンナ・メイ・ウォンは理想としていた映画と出会います。

それは、中国系アメリカ人の家庭を舞台にしたミュージカル映画「フラワー・ドラム・ソング」。
この映画の母親役のオファーを受け、アンナ・メイ・ウォンは出演に向けて意気込みました。

 

しかし、その夢は叶いませんでした。

 

出演を予定していた1961年、肝硬変を患っていたアンナ・メイ・ウォンは、サンタモニカの自宅で突然心臓発作を起こしてしまいます。

そして、1961年2月2日。

56歳、生涯独身のままこの世を去りました。

 

アンナ・メイ・ウォンは死後に過去の功績が認められます。

2003〜2004年にかけて、アンナ・メイ・ウォンの生誕100周年に彼女の伝記2冊と足跡を記した本が出版されました。

また、アンナ・メイ・ウォンの映画界への貢献が認められ
ハリウッド・ウォーク・オブ・フォームに加えられました。

※ハリウッド・ウォーク・オブ・フォーム
エンターテインメント界の著名人たちの名前が刻まれたプレートがズラリと並ぶ歩道のこと。
ハリウッドの殿堂入りとも言われる方々が並んでおり、観光名所としても有名。

 

googleのロゴはアンナ・メイ・ウォンの作品?

今回のgoogleロゴは何枚かの写真がスライドしていて珍しいパターンになっていますね。

映画に出演するイラスト、法に苦しめられ悩むイラスト、華やかに活躍するイラスト

アンナ・メイ・ウォンの生涯を表すようなロゴになっている気がします。
女優として演じていた作品を表すようなイラストですね。

アンナ・メイ・ウォンが初めて主演女優となった
「恋の睡蓮」

この作品の公開日が1922年1月22日。

おそらくこの作品に合わせて今日のロゴが変更になったのでしょう!!

100年以上昔の偉大な人物なので作品を見ることはできないかもしれませんが、社会の反発にも負けず夢を叶えた1人の女性、とても素敵なロゴだと思います!!

 

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